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2009年

03月06日

(金曜日)

ディスサイミアに思う。

 最近はメンヘラなどという言葉もでき、精神科的なディスチミアとかディスサイミア親和型うつ病という概念もよく知られるようになってきました。

 他のサイトで見たほうがいいのですが、簡単に言うと・・・

 今まで「典型的なうつ病」って言われていた人たちってどういう人たちかと言いますと、メランコリー親和型と言われるタイプで、病気の前は、責任感があって、生真面目で、頑張り屋さんというのが特徴だったわけです。
 で病気になると、始めはうつ病であることを否定。認めても罪業感があって、自罰的で、でも疲労しきっているから趣味もなーんにも出来ない自分に疲労感というよりはむしろ焦ってしまう。

 ところが、最近多くなってきたタイプがディスサイミア親和型うつ病と言われるタイプで、病気の前は自分が好きで、オレはその気になればできるんだって感じ。病気になると、ホイホイとうつ病の診断を受けにやってきて、あまつさえ休職させてくれなんて言い出す。社会規律になんか反感を持っていて、役割がストレスに感じる。でも、仕事以外では意外に元気だったり。自分の責任じゃなくて病気が悪いんだとアピってみたり。環境や他人のせいにしてみたり。

 さて。あなた。「ディスサイミア親和型ってヤナ奴だな、こういうのは病気って言わずに、甘え病っていうんだよ。めげずに頑張ってる俺、馬鹿みたいじゃん」って思いませんでした? ネット上でも、かなり小馬鹿にした発言が多いです。


 言っておきますが、ディスサイミア親和型うつ病も、死ぬほど苦しいんですよ?


 周囲の理解が得られやすいメランコリー親和型のほうが、お得なんじゃないかと思うぐらい。確かになんか否定的感情は生まれてきます。勝手なやつだなぁって。でも、それを非難するいわれはないのです。実際、仕事はできなくなるし、人生的に最悪だし、死んじゃう人もいます。お聞きしますが、勝手な人間は不幸な人生が待っていて当然なのですか? 頑張る人が不幸に見舞われるほうが、もっとかわいそうなのですか? その感じ方にこそ僕は大変利己的なものを感じます。

 いじめられる人ってね、いじめる側には当然だと思う理由があるものなんです。あなた、いい歳して、いじめっ子になりたいのですか?
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コメント

厳しいこと書いて申し訳ない。

>ディスサイミア親和型うつ病も、死ぬほど苦しいんですよ

これには同意いたしますが、陰性感情を持たれるのは当然です。
環境や他人のせいにするのだからそれに対する自然な反応でしょう。

非難するいわれは無いとおっしゃいますが、何を根拠にそう主張するのでしょうか?
むしろ勝手なことをしたときに、指摘されない方がその人にとって不幸なことだと思います。

>勝手な人間は不幸な人生が待っていて当然なのですか?

当然とは言わないが、不幸にはなりやすいでしょう。周囲と衝突したり社会になじめないでしょうから。

>頑張る人が不幸に見舞われるほうが、もっとかわいそうなのですか?

非常に気の毒です。努力したことや頑張ったことが実を結ばなかったら落ち込むでしょう。
それを利己的に感じる方がいかがなものかと。

未熟なパーソナリティに問題があるのだと気づかなければ、病院の中でも辛い目に遭うことが予想されますよ。




NO TITLE

774さん、いらっしゃいまし。ナムナム。

>厳しいこと書いて申し訳ない
いえいえ、有難うございます。僕に対して厳しいこと言うのはかまいませんよ。
この手のお話にお詳しいようですので、僕も飾り抜きで書きますね。

とりあえず何か勘違いしてらっしゃるといけないので、まずは一つ。

僕はうつ病じゃありませんよ?

抑うつj状態で投薬を受けたことがありますが、その際の誘因ははっきりしていて、今ではすっきり治っています。その時に主治医から双極性障害かもしれないねと言われたんですが、その後の経過はそうじゃないみたいです。

そもそもこの記事を書いたのは、僕がディスサイミア親和型うつ病とみられる患者さんを多くみているからでして。僕は精神科医じゃないのに、ほんとに困る。精神科に行くように言ってるんですが。

で、そういう人たちに接する中で感じるのは、
「非難、特に陰性感情丸出しの非難は彼らにとって気づきの機会にも学習の機会にもならない」ということなのです。普通なら、飴と鞭なんて言いますように鞭のほうも入っていくもんなんですが。

欠点を指摘するなということじゃないんですよ? 実際僕も患者さんによく言いますし。

>非難するいわれは無いとおっしゃいますが、何を根拠にそう主張するのでしょうか?

非難するいわれがあるとすることに根拠がないからです。774さんが陰性感情をもったと伝えることと、陰性感情を(相手に伝わるかどうかは度外視して)ぶつけることは違うからです。ここでは、陰性感情をぶつけることを「非難」と言い表しました。

>非常に気の毒です。努力したことや頑張ったことが実を結ばなかったら落ち込むでしょう。
それを利己的に感じる方がいかがなものかと。

それは、774さんが健全な共感能力をお持ちで、「努力したことや頑張ったことが実を結ばなかったら落ち込む」ということが容易に想像できるからですね?
自分にとって共感可能なほうがより可哀そうなのはいいのですが、それが当然だ、社会的に正しいと考えるのは、第三者の視点から見ることができていないからです。これが利己的とする所以です。

つまり僕の言いたいことはこうです。
「未熟な人間に対する懲罰が当然であると考えることは、それもまた、人間として未熟である」
これが本文に書いたいじめっ子の論理です。「あいつはこうされて当然の人間だ。だからいじめたんだ」
しかし実はそれだけではない。我々は誰かをいじめることによって快感を得る動物なのです。

懲罰を与えないということではありません。
ただ、医に従事する中で、「あの患者は勝手だ」と怒る自分や同僚のことを思うとき、自分の、人の醜さ、未熟さをはっと自覚するのです。

相手から与えられた陰性感情に基づく行動を正当化するとき、正義が自分にあると感じる時。それは人が最も醜く、かつ残酷になりうる時ではないかと思います。

NO TITLE

素早いコメありがとうございます。医療関係者なのですね。お疲れ様です。
T-Zさんを鬱だとは考えていませんよ。Personality disorderなのかなとは思いましたが。

>非難するいわれがあるとすることに根拠がないからです。

根拠はありますよね。環境や他者のせいにする。つまり他罰的という部分です。それを棚上げして根拠が無いとするのはいかがなものでしょう?他者を攻撃すれば距離を置かれたり、反論されたりするのはおかしなことですか?

中にはT-Z.さんご指摘のように陰性感情をぶつける人もいます。私もそれが正しいとは考えていません。(ベストではないけどワーストでもない。ワーストなのは法に反すること)




>で、そういう人たちに接する中で感じるのは、
「非難、特に陰性感情丸出しの非難は彼らにとって気づきの機会にも学習の機会にもならない」ということなのです。普通なら、飴と鞭なんて言いますように鞭のほうも入っていくもんなんですが。

批判や非難は気づきや学習の機会になりますよ。それがなくて自分が振り返ることができる人間なら他罰的にはならないし、立派な人格者です。

むしろティスサイミアなお方は批判や非難が無ければ問題ととらえることはないでしょう?

私は、批判や非難されることを本人に「どうして批判されたのか」考えてもらえるよう、返して行くのが必要だと思います。

>それは、774さんが健全な共感能力をお持ちで、「努力したことや頑張ったことが実を結ばなかったら落ち込む」ということが容易に想像できるからですね?
自分にとって共感可能なほうがより可哀そうなのはいいのですが、それが当然だ、社会的に正しいと考えるのは、第三者の視点から見ることができていないからです。これが利己的とする所以です。

努力や頑張る人を評価して環境や他者のせいにする人を評価しないのは、第三者の視点から見ていないとおっしゃるのですか?利己的って自分の利益だけを追求しているってことですか?

T-Zさんの第三者の視点で見ることができているというのは具体的にはどういったことでしょう?ディスサイミアな人にどう接するのが良いとお考えでしょうか。

>「未熟な人間に対する懲罰が当然であると考えることは、それもまた、人間として未熟である」
これが本文に書いたいじめっ子の論理です。「あいつはこうされて当然の人間だ。だからいじめたんだ」
しかし実はそれだけではない。我々は誰かをいじめることによって快感を得る動物なのです。

他罰的なことに対してマイナスな反応を示すことは懲罰ではありません。またそれを「いじめ」ととらえるのは考えが飛躍しすぎでしょう。批判や非難の程度によりますけど、それを即いじめと判断されるのならその人に対して周囲は何も言えないし、立つ瀬がないですよ。

それから我々は誰かをいじめることで快感を得る動物だと言い切っていますが、世の中の人すべてサディストではありません。大抵の人は苦しんでいる人を見て快感になったりしません。飛躍しすぎです。

>ただ、医に従事する中で、「あの患者は勝手だ」と怒る自分や同僚のことを思うとき、自分の、人の醜さ、未熟さをはっと自覚するのです。

この考えは共感できるし、すばらしいと思います。
確かに感情的になって怒るのと、患者さんに怒ったり叱ったりすることがどの様な影響や意味があるのか計算しながら接するのは全く違いますから。

個人的考えですが、私はティスサイミアを鬱ととらえることに些か疑問に思うことがあります。
なぜかと申しますと…
どこまでが性格でどこまでが病状なのか非常に不明瞭であること
休養と抗うつ薬のみでしばしば慢性化すること(薬効きにくいですよね。)
青年層に多いこと
環境の変化で急速に改善したりすることがある。
他罰的なところ。を見るとなんか違うなぁと思うわけです。

頑迷で固執するところは鬱なのかなと思いますが、やはり、パーソナリティ障害に近い気がします。

病気ですから苦しいのはわかります。ただ批判を悪いことだと単純に考えるのではなく、一つの社会的反応だととらえているのです。私だって幼い頃から好ましくないことをしたときは批判され、そこからやってはいけないことを認識し学習してきました。(逆に良いことをしたときは褒められました。)今もそれは続いています。
それを患者さんが学習する機会を奪ってしまうのはどうなんでしょうか?いじめと曲解してしまうのは患者さんの為になりますか?患者さん自身が問題を自身の問題ととらえ、自分で考えられるようにしていくのが必要なのではないでしょうか。


NO TITLE

774さん、返信大変ありがとうございます。捨てハンドルネームかなと思いましたので、返信をいただけただけでも、大変勉強になります。

>Personality disorderなのかなとは思いましたが。
 確かに(笑)ま、ネット上でカッコつけてもしょうがないので、好きなこと書いてるとお思いください。こういう考えを放言したりしませんから。あ、変わった人間かどうかは別として、disorderにはなってませんので御安心を。(社会的症状がないということです)774さんもネット上でなかったらPDの範囲かな、みたいなのを感じますから、どっこいどっこいということでお許しを。(笑)

>それを患者さんが学習する機会を奪ってしまうのはどうなんでしょうか?いじめと曲解してしまうのは患者さんの為になりますか?患者さん自身が問題を自身の問題ととらえ、自分で考えられるようにしていくのが必要なのではないでしょうか。

まずは、この点について、774さんに賛成します。そのために日々の診療をしています。

さらに、「利己的」という言葉は当たっていなかったと反省します。
御批判の通りで、盲目的とか、他罰的とか言ったほうがよかったのかな。と思います。

そして、次の点については、反論します。

>批判や非難は気づきや学習の機会になりますよ。それがなくて自分が振り返ることができる人間なら他罰的にはならないし、立派な人格者です。

そうです。批判や非難は「普通は」学習の機会になるのです。いわゆる「罰」による条件付けの一例だけ見てもわかります。
私が言いたいのは、(もちろん日々診療する中での気づきだけが論拠なのですが)、「ディスサイミアの人が罰による学習方法が苦手である」という点なのです。

 人によって、得意な学習方法は違います。(この点については異論ないものと考えますが……)この「違い」について意識しないままだと、ディスサイミアな方々の気づきは生み出せないと感じるのです。実際、家族を巻き込んで非難の方法についてじっくりと作戦を練る(感情を波立たせない、理性的にする、定量的な罰を与える、どうすればよかったかという建設的な批判にするetc)ことで、案外あっさり(まぁそれでも一年ぐらいかかりましたけど)社会的不利益がほとんどなくなった人がいます。私から見ると人格の未熟さはまだまだなのですが、それを相手に不快感を与えずに通すやり方が巧くなった感じです。その時点で転職して、今はうまくやっているようです。(もう私のほうには見向きもせず、家族からその後を聞くだけですが)

正直、小学生を相手にしているみたいで、僕の中にも陰性感情がふつふつとわいてくるのですが、おそらく、彼らに有効な手段は、教育を入れなおすということなのでしょう。その中で「私がいう意味での」非難は何の役にも立ちません。

余談ですが、僕は普通の小学生にこの方法で教育を入れていくのにはあまり賛成ではありません。普通は774さんのおっしゃるように、自分と環境との衝突の結果がどんなものであっても(たとえ理不尽なものであっても)、自らへの教唆を感じて学習する機能があるからです。

>他罰的なことに対してマイナスな反応を示すことは懲罰ではありません。またそれを「いじめ」ととらえるのは考えが飛躍しすぎでしょう。批判や非難の程度によりますけど、それを即いじめと判断されるのならその人に対して周囲は何も言えないし、立つ瀬がないですよ。

>それから我々は誰かをいじめることで快感を得る動物だと言い切っていますが、世の中の人すべてサディストではありません。大抵の人は苦しんでいる人を見て快感になったりしません。飛躍しすぎです

 確かにその通りですね。飛躍していると思いました。断定のしすぎでした。しかし、現代においてそれは多分に懲罰的で、多分に「いじめ」的である点は、やはり主張したいのです。
 たいていの人は病的なサディストではありません。しかし、いじめることで快感を得る特徴は多かれ少なかれ皆持っています。

 また、外部から見ると「そこまでしなくてもいいんじゃない!?」ということをある集団の中に入ると常識的に行ってしまうというのは、よくあることです。いじめっ子にはたいてい自覚がありません。

>T-Zさんの第三者の視点で見ることができているというのは具体的にはどういったことでしょう?

自分が理解できるとできないとにかかわらず、その人が苦しんでいる事実を否定しないということです。
「その苦しむ姿が手前勝手でムカつく」ことは仕方がありません。「お前ムカつくんだよ!」と叫ぶことに利益がないということです。自分にも、ディスサイミアな方にも、双方に。

何度か言いましたが、批判しないということではありません。実際に私は患者に対してよくそ批判されるべき点を指摘します。しかし、今までの私の失敗を考えるに、ここで「私がいう意味での非難」をしても、その中に含まれる教唆に気づく能力がまだないのですから、意味がないのです。

要は「私のいう意味での非難」が百害あって一利ないということ。世の多くの人が774さんのような人格者ではなく、「私がいう意味での非難」をしているということ。さらに「私いう意味での非難」を他者に向けるとき、(私を含めて)むしろ自分の未熟さの露呈であるという感覚を皆と共有したいということなのです。

NO TITLE

続き
>個人的考えですが、私はティスサイミアを鬱ととらえることに些か疑問に思うことがあります

僕はディスサイミアがうつ病かどうかなんて全く興味がありません。ディスサイミアを見分ける力と、効く薬と、届きやすい学習方法がわかれば私としては十分です。
別に人格障害を治すのに、自らの未熟な人格への気づきが必要だと思ったことはありません。基本はうつ病と全く変わりません。1.抗うつ薬のバランスを考えた処方 2.困った物の見方と困った行動を修正していく。それだけ。抗精神病薬は効くのかもしれませんけど、精神科医ではないのでこれが精一杯です。

驚くのは、普通のうつ病の方でも、話をよく聞くと、驚くほど偏った物の見方をしており、そこを修正しようとする直接的な試みにはものすごい抵抗を示すことです。そういう意味では、普通のうつ病も、人格障害と何が違うの? という感じです。(そういう意味でだけ、ですよ?)

で、ディスサイミアの人に非難による学習が入りにくいのと同じように、うつ病の人には普通の「ご褒美」の学習方法がなかなか入らないという印象を受けます。

>私だって幼い頃から好ましくないことをしたときは批判され、そこからやってはいけないことを認識し学習してきました。(逆に良いことをしたときは褒められました。)今もそれは続いています。

僕もそうです。ところが、うつ病にも、ディスサイミアの人にもこの「まっとうな学習」が入らないのです。入るなら、診療場面にはやってきていないのです。普通の門が固く閉じられていたら、裏門を攻めるのがいいと思いません?

T-z先生御机下

診療お疲れ様です。お忙しい中の返信ありがとうございます。

>>Personality disorderなのかなとは思いましたが。
 確かに(笑)ま、ネット上でカッコつけてもしょうがないので、好きなこと書いてるとお思いください。こういう考えを放言したりしませんから。あ、変わった人間かどうかは別として、disorderにはなってませんので御安心を。(社会的症状がないということです)774さんもネット上でなかったらPDの範囲かな、みたいなのを感じますから、どっこいどっこいということでお許しを。(笑)

すみません。大変失礼なことを書き込んでしまいました。お許しを。もちろん本気で思っていたわけではありません。まぁ、DSMとか見ているとほとんどの人が何れかの疾患に罹っているのではないかと思ってしまいますが。私はどちらかというと広汎性発達障害かなと思っています。

>僕はディスサイミアがうつ病かどうかなんて全く興味がありません。ディスサイミアを見分ける力と、効く薬と、届きやすい学習方法がわかれば私としては十分です。
別に人格障害を治すのに、自らの未熟な人格への気づきが必要だと思ったことはありません。基本はうつ病と全く変わりません。1.抗うつ薬のバランスを考えた処方 2.困った物の見方と困った行動を修正していく。それだけ。抗精神病薬は効くのかもしれませんけど、精神科医ではないのでこれが精一杯です。


興味がないことを書き込んで正直申し訳ない。精神科医でないのでこれが精一杯とおっしゃるのでしたら、何も申し上げることはございません。どこぞの社会の底辺が、何かほざいていると思ってご容赦下さい。コメントありがとうございました。

NO TITLE

 えー、実は私、転居を控えて現在休暇中でして。(御褒美休暇ともいえる)
そういうわけで大変ヒマなんであります。じゃなきゃ上のように昼の日中に返信していません(笑)

 774さん、怒らせてしまったようで大変申し訳ない。あるいは、めんどくさくなっちゃいましたか? 「興味がない」「精神科医でないのでこれが精いっぱい」という言葉だけをとらえられると、大変困ってしまいます。おそらく、文面上774さんも医療関係者かと思いますが、(精神科か、少なくともそれに近い)774さんがおっしゃっていることと、私が言っていることはかなり近いのだと思います。一つの疾患をはさんで、両側に立っているイメージですかね?

 理解が深い方に出会えて、本当によかったと思っていたのですが、残念です。批判されるたびに、自分の言いたいことがシェイプアップされていく感じでしたので。

 挙げられた二つの点が、逆に774さんを怒らせてしまったでしょうか?

 PDに関しては、すいません。私自身はPDも、PDDも、ADHDも、自分の隣近所の人(要は「何かあったらこうなっていたかも」という感じ)という人たちなので、あまり失礼な言葉として受け取りませんでした。774さんも同じようなイメージを持っておいでだから、僕に「あなた、PDじゃない?」とおっしゃったのかと勘違いしました。

 「興味がない」ということの真意は、「分類には臨床的意味があるが、その分類の所属については臨床的意味が低い」ということです。うつ病が、単に気分のみが障害されるものではないことには異論ないものと考えますが、だとすれば、「うつ病は気分障害ではない」と議論しても仕方ないのではないですか?

 臨床家にとって一番必要なのは「主訴から分類」され、「治療の個別化に結びつく」分類ではないかと思います。

 例えば、「胃癌も肺癌も癌である」というのは臨床的意義は少ないのです。「心筋梗塞と胃潰瘍はともに心窩部の疼痛をもたらす疾患である」というくくりの方が遙かに大事なのです。

 ディスサイミアがうつ病か、人格障害かを考える意味があるとすれば、それはうつ病の治療と人格障害の治療に違いがあるときです。私は両者に「大きな」違いがあるとは考えません。

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