サイコロ追跡中。

サイコロの転がる、その先へ。

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2007年

11月27日

(火曜日)

ナイーブなオタクたち

さて、今日は友人のブログの炎上に際して思ったことなどを。

なんというか、僕のオタク観って少し変なんじゃないかと思い始めてきました。少なくとも炎上中に集まっている人たちとの間には越し難いカベを感じるのです。

僕がオタクという文化圏に属する一群衆のひとりであることは間違いないんですが。

僕は、自分の好きなRPG、漫画やアニメーションに対して「絶対的な価値」をみとめています。
炎上中のコメントに挙がっていたのですが、昔NHKの番組でRPGに対してネガティブな特集が組まれたことがあります。ジャーナリストはオウム問題でおなじみの江川紹子さん。2年ほど前にある人から見せてもらったことがあります。で、そのコメントには、「お前の好きなTRPGがこんな扱いされたら不快だろう。怒るだろう」と書いてあるのですが、これがさっぱりわからない。
僕も、その見せてくれた友人も同じだったのですが、不快感も怒りも感じませんでした。感想は、「笑える」。なんというか、「ソウルオリンピックの時に白人が、韓国人が犬を食ってるのを見て怒った」という話と同じような面白さがあると思うのですが。自分の好きなことに、他に影響されないしっかりとした価値感を持っているなら、それをバカにされたとしても爆笑して終わりだと思うのです。その所為で法規制とかされそうになったら困りますが。

最近友人に「アニメや漫画が日本の文化だって言うけど、それって本当に誇れる文化なの?」と言われたことがあります。僕は笑ってごまかしました。僕の答えはYesで、それ以上の議論を必要としなかったからです。そもそも、誇りとか価値とかいうものは、理論的に構築されるような副次的なものではないのです。

もちろん理屈をつけることはできます。例えば、現在の日本でエンターテイメントのトップクラスの才能は、ポップスと漫画に集まる傾向にあります。残念なことに小説とクラシックに集まる気配はありません。次に、市場が巨大なため、商業的価値が低く芸術的価値が高い物を作ることができるということ。etc

でも、その価値観自体、誇り自体に理屈はないのです。「良い。なぜなら、良いからだ」

前に「AIKI」という映画で、「生きてるだけじゃ、だめなんだ」というセリフがありました。それまでボクシング一筋だった主人公が下半身不随になった時のセリフです。なるほど、その通りです。ですが、同じ事を障害児施設で呼吸器につながれて寝たきりになっている子供たちの前で、その子を指さして叫べますか? 価値とは、個人的なものです。あるグループで共有できる価値はあるでしょう。そのグループは世界的な広がりがあるかもしれません。しかし、全員ではない。今も昔も、価値観の外にいる人間は、価値観の中にいる人間の気に障ることをいうものです。いちいち気にしてたら始まらないと思いませんか?
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2007年

11月14日

(水曜日)

ぴーぴんぐ・とむ

今回はあまり行儀のよい話ではありません。


昨日はちょっとイライラしていたので、居酒屋でパーッとやっていました。独りで

 僕が飲んでいるカウンターの端に、新しく二人連れがやってきました。30代後半から40代始めの男性と、20代女性。まるで不倫みたいな組み合わせだなぁと思ったら、どうやら男性は大学or短大(固有名詞出てましたが、さすがにボかそうかな)の教官で、女性はそこの生徒らしい。まんま不倫じゃねぇ? なんか教室のイベントの帰りのようで、「お疲れ様」と言い合いながらグラスを傾ける二人。

 いや、ちょっと待て。男性が既婚かどうかを確かめたわけではないし、そもそもそれを確かめる術はないわけで……(プルルルル)「もしもし? ああ、うん。母さんいるか?……うん、うん、そう。もう終わって教室のみんなと飲んでる。…」(ピッ)「奥さんですか?」「ああ、まあね」 確かめました。

 ここらへんで居酒屋のニーちゃんと目が合う僕。ニーちゃんすごく楽しそう。その後もイロイロ話をしていたのですが、要約すると、「ここまで誘いに乗っておいて、わかってんだろうな、コラ?」「いえ、全く存じかねます。」

 腹を抱えて笑いそうになったので、早々に会計をして、外に出る僕。なぜか後についてくる二人連れ。ナチュラルにホテルに吸い込まれていって、「いや、そこは一回嫌がるとこだろ。」と、思わず脳内ツッコミ。いやぁ、こんな「お約束」を大事にする人って居るんですね。家に帰ってから爆笑した夜でした。モチロン独りで

2007年

11月11日

(日曜日)

黄色いバスに飛び乗って―リトル・ミス・サンシャイン



・映画の魔法
不純異性交遊とヘロイン中毒で老人ホームを追い出された爺さん。恋人に捨てられて自殺未遂を起こした、ゲイでプルースト学者の伯父さん。独自のサクセス理論を提唱し、サクセス本の版権で成功を狙う、「それ順番逆だろ」な父さん。空軍のパイロット目指して日々トレーニング中。ニーチェを信奉し、一言もしゃべらない兄さん。みんなに仲良くあって欲しいというワリに、夕飯はいつもフライドチキンとスプライトの母さん。そして、ミスコングランプリを夢見るオデブでド近眼な妹。

ダメ人間コンテストなら既にK点越えの家族に舞い込んできたのは、妹のリトル・ミス・サンシャイン・コンテスト本戦出場通知。かくして、機能不全家族はアリゾナからカリフォルニアへオンボロバンでの移動を始め……あーもうだめだ。

さりえりさんからこの映画について書けといわれてから2日間。どうにかこの映画のよさが伝わるレビューをと思って書いていたのですが、全部消してしまいました。
 この映画、プロットだけ書くとなんてつまんないんでしょう。
 冒頭の文章。どうです? 食指が動きましたか?
 この映画の製作、実は6年もかかっています。別に最近の大作みたいに撮影に3年がかりだったとか、編集が2年もかかったとかそういう理由ではないんです。投資家が集まらなかったから。ちなみに僕なら投資しません。
 でも実際いい映画なんです。これ。
 なんで?
 どうして?

それは映画の魔法がかかっているからです。CGだけじゃないですよ? 本当の魔法です。

・細部にこそ、神は宿る
みんな知ってることですが、映画ってほとんど音と映像で出来ていて、文章に書かれている部分は本当に少ないんですよね。だから、画面に何を撮るかっていうのが重要なわけです。当たり前すぎて何を言ってるのか判らないかもしれませんね。画面のあらゆる細部を意図的に構成するのは、ナカナカ凡人に出来る作業じゃないのです。
 見た人は信じないと思いますけど、この映画の監督デイトン・ファリス夫妻はミュージックビデオ・TVCM出身のバリバリの映像派です。だから、細部の大切さをよく知っている。ちょっとクリント・イーストウッドあたりには真似できない芸当です。オープニングの細やかさとその完璧な構成は近年でも随一でしょう。
冒頭、ミスコンクランプリ授賞式のビデオを繰り返し再生する妹。このビデオのビューティークイーン、どこから探してきたんでしょう。完璧です。こんな隙のないアホ面、なかなかいません。そのアホ面を写す妹のメガネ。加工したはめ込み映像ですが、実に自然で、なおかつ意図的。
トイレでヘロインを吸う爺さん。このトイレ、セットでしょうか? ロケでしょうか?鏡に写る便器の一部のそこはかとない汚れ方、鏡際の化粧小物を含めて秀逸。
公演中の父さん。この時代に、プレゼンテーションがオーバーヘッドプロジェクター。脇に置かれた椅子はいくつか不ぞろいで上手く重ねられていません
入院中の伯父さん。車椅子に乗って外を見ているのですが、画面の端に配置されて視線の先がカメラに入ることはありません。不必要に広い室内。無愛想な合板の机の上に乗った病人用の洗面器セットは、水道から遠く離れて使われた跡がありません。
 室内トレーニング中の兄さん。誰ですか? 彼の手に指だしグローブをつけようと言い出したのは? よく効いています。トレーニングの中途半端な本気ぶりがたまりません。

 セットにしろ、ロケにしろ、コップ一つ選ぶところから積み上げて構成された画面から伝わる空気がこの映画の魅力の一つです。

→続く

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