サイコロ追跡中。

サイコロの転がる、その先へ。

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2007年

02月28日

(水曜日)

ダブルパンチ

 えー、近況がてら、仕事の愚痴を。せっかく今の職場に慣れかけたところで、転勤決定ですよ。あーもう!もう!もう!もう!しかもハチャメチャに忙しい部署です。僕の人生1年半強無くなりました。
 風邪で同僚が休んで、今週4回当直なのですが、死なないかどうか真剣に検討中です。
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2007年

02月26日

(月曜日)

ディパーテッドおめでとう。スコセッシありがとう。

 えー、僕が凡庸と言った作品がアカデミー作品賞でした。
 まぁ見る目がないって事で。アカデミーのこれまでのスコセッシに対する仕打ちを考えると、当然かなという気はしますが。ノミネート中最も偉大な監督は誰か?という質問なら、僕も諸手を上げてスコセッシです。
 ショックだったのは、リトル・ミス・サンシャインがどこにも入らなかったこと。僕が見た中では作品賞ノミネート中随一かと思ったのですが。

 大体毎年アカデミー賞では、僕のその年のイチオシが敗れていくのが恒例となっております。「ショーシャンクの空に」が「フォレスト・ガンプ」にメタクソにやられて無冠だったときには、アカデミー会員は頭がどうかしてるんじゃないかと怒りましたが、「トゥルーマン・ショー」がノミネートもされなかった時には爆笑してしまいました。

 以来、アカデミー会員のみなさまとは意見が全く合いません。

 モチロン見せる側のアカデミー会員と見る側の僕では、僕(客)のほうがずっと偉いので、僕が正しくて他がみんな間違っていると思っております。

2007年

02月22日

(木曜日)

やたっ♪

うひ。ここ最近で一番嬉しいニュースです。
「映画どろろ、続編2作品製作決定!」

 監督・主演も変わらないようで、これほどの駄作をあと二本も見れるかと思うと、心躍ります。いや、むしろ、たいていの三部作での、「2作目以降が初期作よりも駄作になる傾向」を踏襲して、これ以上の駄作に仕上げていただきたいところです。是非年度を1年づつずらしていただいて、きいちご賞3連覇を成し遂げて欲しい。

 え?次回は2009年公開予定? そんな馬鹿な! どう視ても各シーンワンテイクしか撮ってないのに、何で2年もかかるんですか! 3連覇の夢はどうなるんですか!

 いやー、嬉しい。流行の三部作形式を初めて取り入れるのが、よりによって「どろろ」とは。早く「第2作は尻切れトンボで消化不良」とか、「第2作が一番良かった。最終作はクソ」とかの、三部作特有のバカセリフを言いたいなぁ。

2007年

02月21日

(水曜日)

演技と記号

 ネガティブなネタしか思いつかないときは、それで押してみることにしました。今はなぜかヒネた中学生みたいにイヤミなネタしか思いつかないんですよね。
 
 はっ!中二病の再発ですか?

 そういうことで、どろろをこき下ろしているサイトを検索して楽しく鑑賞していたのですが、その中に「ツマブキは演技が下手。盲目の演技は黒目を動かさず、瞬きをしないのが基本。それが出来ていない。」というものが。

 みなさん、盲目の人の事をちゃんと正面きってみたことがありますか?

 瞬きしますし、目も動かしますよ? じゃ、なんでこんな記述が?
 それは、「盲目であるよりも、盲目っぽい演技」をみんなが求めているからだろうと思うのです。ファンタの、「オレンジよりオレンジ味」に通じるものがありますね。

 確かに、現代の映画において、「役になりきった演技」や、「微妙な演技」は、必要なくなってきています。前者は、人気俳優・名優と呼ばれる人たちをみれば一目瞭然。アル・パチーノさんとか、桃井香とか、むしろどんな役をやっても、その役者以外の何者にも見えない事が求められています。後者は、撮影と編集と無表情で、どんな微妙な演技も可能である事がほぼ分かっています。たとえば、無表情の役者を写したカットのすぐあとに、ステーキがジューって音を立てているカットを入れると、役者がおなかがすいている演技をしているように見えることが実験から分かっています。

 そういう状況下で必要なのは、むしろ記号としての演技であり、目が見えない人を模倣するよりも、盲目の人を観察したことがない人の中の、「盲目のイメージ」にあわせることのほうが大事ということですね。

 まぁ、この文章書いた人が、そこまで考えたとは思えませんが・・・・・・

 ウソ・大げさ・紛らわしくても、納得のほうが大事。まぁ、映画や、ファンタ等の嗜好品だけにしておいて欲しいですね。

2007年

02月20日

(火曜日)

「嘘を嘘と見抜けない人には掲示板は難しい」そうですな。

 でも、全部の嘘を嘘と見抜くのは不可能ですから、なかなか掲示板への道は遠そうです。僕は自分が興味を持って調べたことや、否応なく知っていること以外では、騙される自信があります。最近は新聞読みながら、「ああ、俺ってどのくらいこいつらに騙されてるんだろうなー」と、パラノイアな気分で一杯になりつつも、「全部自分で調べるわけにもいかんしなー」と言い訳する日々です。

 僕は理系ですから、このあいだの「あるある騒動」がなぜ騒動になるのかさっぱりわかりませんでしたが、冷静に考えてみると、案外逆の立場だったら、憤慨するんだろうなーと。例えば、「なんでも鑑定団の鑑定は嘘でした」とか言われると、やっぱり憤慨するだろうなーと思いますし。

 自分の業界や趣味の事で、「世間ではまことしやかにこう言われてるケド、嘘なんだよなー」って事、結構ありませんか?
 例えばですね。僕は医療問題に興味がありまして、少し調べたことがあるのですが、
「地域的な医師の偏在の是正が、日本の医療の重要な課題である」
というのは、厚生労働省がついている嘘なのですが、知ってました?
知らないのが当たり前ですよね?

 本題じゃないので、簡単にどこが嘘なのかと言いますとね。医師は偏在していますが、偏在を是正しても問題は全く解決しないと言うことです。
 国民1000人あたりの・・・・・・
 簡単に説明するつもりが具沢山になってしまいましたので、続きに収納しましたw。見たい人だけ見るとよいね。

 まぁとにかく、こんなことでさえ嘘なんですから、興味がいまひとつわかないことに関しては、すごい嘘だらけなんでしょうねぇと。

 で、そんなときに多分野にお知り合いが居ると、とてもお得です。この間も、携帯のOSについて教えていただきました。役に立てるために友人を作るのはイヤですが、どうせ持つなら違う世界の友人だなぁ。と、業界内の友人の率が異常に多い同僚を見ながら思うTzでした。

 うーん取り留めのない内容ですねぇ。いや、同僚の視野が狭くて会話になんねぇという愚痴を書いていたのですが、最近(Negativityの回を書いてから)なんかネガティブな内容が続いていて、さすがにマズいかなと。

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2007年

02月19日

(月曜日)

豪華三本立て

いや、実際には三本連続で映画を見てきただけなのですが。
本日は当直明けに7時間映画を見るとコメカミが攣りそうになるということを学びました。

なのでもう寝ます。

一言づつだけ感想を。

・ディパーテッド
 凡庸。どーした、スコセッシ。

・ドリームガールズ
 良作。ミュージカル映画が悪く転んでも佳作になることを考えに入れたとしても、よく作ってます。ただし、ジェニファー・ハドソンのアカデミー助演女優賞ノミネートは不服。ノミネートするなら主演女優賞だろ、どう見ても。助演賞はむしろビヨンセに捧げたい。

・どろろ
 やりましたね、柴咲さん。今年こそ木いちご賞最有力!

2007年

02月18日

(日曜日)

近親憎悪。

 まぁその。ちょこっとでも論考ぽいことを書いたことのある方などはお分かりでしょうが、プレイング論を書くときに抽象的な書き方になってしまうのは、自分の隣に座る人への文句になりかねないからで、「論考ってよりは愚痴だよなぁこれ」と思うことも間々あります。

 で、今日はほんとに愚痴なんぞを。

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2007年

02月15日

(木曜日)

RPGのテクニック:インプロから学ぶ その5

お久しぶりのTzです。
長い放置プレイ中、皆様いかがお過ごしでしたでしょうか。
別に忙しかったわけでも、ネタがなかったわけでもないのですが。
最近皆さんのテキストを読むだけでお腹いっぱいで、
テキストを書く欲望が浮かんでこなかっただけです。
イヤー皆さん文才がありますね。
自分が知的作業において、生産者ではなく消費者なんだと自覚させられます。

でもまぁ、さすがになんか書かんとなぁ。

と、いうわけで、予告までしておいて書かなかった論考の続きをば。

・Negativity
 Negativityとは、消極的なアクセプト、消極的なオファーのことを言います。ここのKey Wordによれば、困難を与えるようなオファー(「モンスターに出会った」)が来たときに、それを避けるようなオファー(「そのモンスターは蟻ぐらいの大きさだった」)を返す事などを指して言うようです。(カッコ内は上記のページの例です。)物語の腰を折る行為といえるでしょう。

・RPGにおけるNegativityの応用
 はい。演技演出重視型RPG入門者で、最もよく見かける誤りの登場です。当たり前です。10フィート棒と相反する考え方ですから。

 例を挙げましょう。
設定:不治の病の息子の延命の薬を手に入れるため、PCの親友である敵ボスは悪の結社からの殺人依頼を受け続けている。

PL「GM、この延命の薬を僕たちで作れれば、問題は解決するよね?僕は天才科学者とのコネがあるから頼んでみるよ。」

 これは他のタイプのRPGならば、良策です。困難を回避するために、あらゆる可能性を探るのはとても良いことです。
 しかし、こと演技演出重視型RPGにおいては愚劣な質問です。可能なわけがないでしょう?この物語において真に乗り越えるべきは葛藤であり、子供の病気ではありません。
 自分の子供のためならば、無辜の人を殺しても良いのか?親友である敵ボスと、君のキャラクターは戦えるのか?そういった葛藤を回避したら、シナリオの根幹がポッキリと折れてしまいます。
 こんなシーンを繰り広げる暇があったら、親友との友情の回想シーンを要求する方が100倍マシです。もしGMに質問することがあるとすれば一つだけ。
PL「何か条件がそろったら親友は味方になるの?」
ちなみにGM側もこういう質問にははっきりと宣言するべきです。
GM「いや、ムリ。」

 困難は「立ち向かう」からこそ意味があります。ダンジョンに入らずに問題が解決しないか悩むのは時間の無駄です。

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